私は軽度知的障害者であり妻であり母である

26歳になってIQ68の軽度知的障害者であると宣告された私。妻であり、娘の母でもある私が思ったこと、考えたことを綴っていこうと思います。

子ども時代

お盆が終わりましたねー。
旦那の仕事上、ぜんぜん関係ないので連休感まったくなしでしたが...

今回は子ども時代から今現在を思いだしながら書いてみたいと思います。

まず、私は幼い時の事をあまり覚えていません。それが普通なのか普通じゃないのかはわかりませんが(・・;)

覚えている一番古い記憶は小学3年生になった年の春、朝から母親と喧嘩をしたこと。そして、その日の放課後、学校から帰宅すると母親は入院していたこと。その時は母親が家にいないことに驚いて喧嘩していたことをすっかり忘れてお見舞いに行きました。そして、そのまま謝れていません。
次に古い記憶は上と同じ年の夏、入院していた母が見に来てくれたピアノの発表会のこと。
そして、その年の秋、母が亡くなる前日とその日のこと。

そこから、私と妹二人は父方の祖父母に育てられました。父も一緒に住んでいたけど、他にも女性がいたらしくほとんど家にいませんでした。
小学校、中学校、高校と地元の公立へ。小学生のころは忘れ物がとにかく多い子どもでしたが、母親がいないので仕方がないと思われていました。
中学校ではテニス部でしたが、ラケットを3回もなくしてしまって買いなおしてもらいました。
高校時代は運動部のマネージャーをしていましたが、どっちがマネージャーかわからないくらいでした。
勉強はずっと真ん中ほどでしたが、高校の科学と数学はさっぱりでした。

高校卒業後は家から電車で1時間程の短大へ。でも、電車でよく寝てしまい乗り過ごしてばかりいました。一回生の夏に今の旦那と出会い、付き合いはじめました。短大は教授に泣きついて単位をもらい、ギリギリで卒業。その後はトリマーになりたくて動物の専門学校へ。
でも、動物の毛にアレルギーがあることがわかり、実習が苦痛でサボりがちに。専門学校も先生に泣きついてギリギリ卒業させてもらいました。
短大の時から心療内科に通い始め、うつの薬を飲み初めます。その後、発達障害の疑いでストラテラを服用開始。
専門学校卒業後はフリーターを1年して、旦那と結婚。昨年11月に娘が産まれ、今月頭に検査の結果IQ68しかないことがわかりました。言葉のほうはまだマシなので会話するのはまあまあ大丈夫だか、操作するのが破滅的に無理だそう。だから、ぱっと見はわからないらしい。

今の心配事は娘に遺伝していないかどうか、旦那の給料では今後キツいのでパートに出たいができるかどうか(医者にはたぶん無理だと言われた)、療育手帳を取得したい、できるなら障害者年金が欲しい。

こんな感じです。